2013年12月24日

夢かなkids☆冬合宿 レポート♪

いつもありがとうございます。
塾長の島です。

22日〜23日は、夢かなkids冬合宿に行ってきました。
これは塾長の、学習塾とは別の活動のひとつで、
<子供コーチ化プロジェクト>のひとつなんです。

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普段僕は、塾以外で大人向けの講座をしていて、そこでコーチングを体感してもらっています。
これをこのプロジェクトでは子供達にも知ってもらおうというわけです。
そうすることによって、子供達が例えば友達や家族の誰かに、コーチングを広げることごできます。

この合宿では子供たちは、自分たちの夢を実現させるためのワークをたくさんします。
自分たちの良い所探しや、自分の好きなことをたくさん書いて、それを木に見たてて絵を書くワーク。さらにそれらの発表。
今回は30人の小学生たちが参加してくれて、そのみんなの前で発表をし、そのみんなから質問を受けるということをしました。

さらに、
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英語を使って、将来の夢をスピーチするということもやりました。
My dream is to be a...
の後に自分たちのなりたい仕事を入れてみんなの前で発表します。
キャビンアテンダント、医者、科学者、陸上選手、司書、サッカー選手、漁師…など、みんなそれぞれ思い思いのことを発発表してくれました。

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泣かされたのは、子供からのサプライズ。
みんながいつのまにか、僕たち大人コーチに似顔絵を書いてくれました。
そして「ありがとうございました」と言われた時には涙が出ました。
そんなこと、やってくれるんですね。

そして、
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最後は修了書授与です。
みんなに二日間でやったことの発表をしてもらってから、1人ずつ修了書を渡します。
みんな、これで子供コーチです。
今度はみんなが、周りの人たちをリードしてコーチして引っ張っていってほしいです。
とても最高で価値のある二日間でした。
この子たちが10年後20年後に夢を叶えていることを思うと、また涙が出そうになります。
またすぐにやりたいと思いました。



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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月07日

真似をすることも大事

 小学校の時。

 ある時、
 僕は字がきれいに書きたくなりました。

 あの頃「小説家」になりたくて、400字詰め原稿用紙をお小遣いで買って、それに今じゃ小説とは言えないような小説を書いていたんですね。

 それって人に読んでもらうことが前提だったんです。
 だから誰に言われたでもなく、字がきれいになりたかったんです。

 そんなわけで、
 意識してきれいな字を書くようにしました。

 そんなある日のこと、 席替えをした日だったかな。

 隣の席の女の子の字を見て、

 「あ、きれいだなぁ〜」って思ったんです。
 (字の話ですよ)


 で、
 じろじろと見ていると、わかったんです。

 その子の字って、薄いんです。


 僕が書く字と比べても周りのみんなの字と比べても、どう見たって薄すぎるくらい薄いんです。
 それで僕はわかりました。

 「あ、そうか! 字を薄く書けばきれいな字になるんだ!」って。


 その時から僕は、鉛筆を持つ手から力を抜いて、
「もうワタクシ動けません。ヘロヘロでございます。。。」というくらいの筆圧で、うっすーい字を書いたんです。

 漢字のノートにも薄い薄い字ばかり書いていました。

 だけどまた気がついたんです。

 「え? これってホンマにきれいなのか?」

 そう気が付いて改めて自分のノートを見直したら、
 自分の字はただ薄いだけなんですね。
 確かにゴツゴツ感はないけど、きれいでも何でもない。

 それだけならまだいいんですが、
 そのうち調子に乗りすぎているものだから、もう何が書いてあるのかサッパリわからない箇所があります。
 そんなのって意味がないって思いました。

 字って何よ!?
 って改めて考えたんです。

 字って見せるためのものじゃないのか?
 って。

 ラブレターだって好きな子に読んでもらうものだし、テーブルの上に置いてある「冷蔵庫にヨーグルトを入れてます」っていうメモだって、相手が読むためにあるんじゃないのか?
 って。

 そう思ったら、
 その薄い字で書かれた原稿用紙も捨てたくなり、
 漢字ノートを見るのも嫌になりました。

 なんだかとてもかっこ悪かったんです。
 「薄い字がきれい」と思った自分がかっこわるかったんです。

 で、
 もう一度、隣の席の女の子(まあ、その時には既にまた違う席に変わっていたんですけどね)の字を見ると、確かにその子の字は薄いんですけど、それだけじゃないんです。


 マスからはみ出していないんです。

 ああ、
 「マスからはみ出さない字を書けば良いのか〜」って。。。

 そうやって僕はまた真似をしていたんですけどね。
 マスからはみ出さない字が書ければ、1字1字バランスが整ったわけですが、まあまあ・・・それは置いといて。。。

 とにかく、
 こうやっていつもいつも真似をする子でした。
 それ良いなって真似をして、
 真似をしたことに対して結局自分で「おかしい」って気がついたりする子でした。

 今そんな話を思い出しながら考えていたんですが、
 真似をすることって、けっこう大切だなって思います。

 真似をするって、
 やっぱり嫌なものは真似しないわけで、良いって思うことや思う人の真似をしますね。
 自分が持っていない部分を何かから誰かから真似して学ぶんです。

 でも、
 それがおかしいことだったら、どこかできっと「おかしい」ってことに自分で気がつくんです。


 薄い字が良いか悪いかは別として、
 その字は確かにその子の字。
 なのに、薄いっていうところだけを真似しても、そもそも僕の字には薄い字が合わなかったんです。
 だからちっともきれいに見えない。

 けど、
 真似したからこそ、
 それが自分でわかったんです。

 だから思います
 まずは人の真似をしたら良いんです。

 何でも真似をすれば良いって話でもないかもしれません。
 ただ、良いと思ったならまずは真似てみれば良い。

 そして自然に「これはおかしい」って思うところまでやってみればいい。
 ある時それに気がついた時、また違うふうにやってみればいい。

 そんなふうに僕は思っています。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月06日

部屋で過ごした一人っきりのクリスマス

 もうすぐクリスマスです。
 楽しいですね。
 街の雰囲気が今はもうクリスマスになっていて、サンタさんがいて、音楽が流れて、笑顔と賑やかさがあります。
 そんな街の雰囲気が僕は好きです。


 けれど、
 こんな楽しそうな人々の中を、
 人々の顔を見ようともせず、下を向いてサッサと家に帰っていた年がかつてありました。

 それが受験の年でした。


 塾帰り。
 どっかの家では外にツリーが飾ってあって、電飾がきれいでした。
 その輝きを見ながら、
 「激しく燃える・・・酸素っ!
 ポンと音を立てて燃える・・・水素っ!」なんてブツブツ言いながら、家に帰って最初に始める問題集を思い出したりしていました。


 塾では、
 「クリスマスに塾って・・・なんでなん?
 クリスマスにまで塾の先生に会うって…どうなん?」

 とか言っていたんだと思います。

 けど、『クリスマスなのに塾へ行くってことに違和感があるのと同じくらい、クリスマスだから塾へ行かないという理屈にも違和感があるだろう?』なんてわかったようなことを考えては、自分を納得させながら、勉強していました。

 受験生時代以外で学生時代のクリスマスに、そんなふうに街に背を向け人々に背を向けて過ごしたという経験は僕にはありません。
 それなりに人並みにクリスマスをしていました。
 楽しい思い出もあり、切ない思い出もあり、素敵な時を過ごしてきました。

 今ではこう思います。
 素敵な思い出がたくさんあったクリスマス。
 けど、
 受験生として、明るく賑やかな街の風景に背を向けて自分の「今やるべきこと」を考えながら受験勉強に熱を入れたあの頃だってもう素敵でかけがえのない二度とやってこない思い出なんです。
 そういうクリスマスがあってもいいでしょう?

「もう入試間近やん。今からやって成績って上がるん?」
 って考えてたって何もはじまりません。やるしかない。
「『出る順英熟語』もう1回見直す。今日中にこれ1冊見直す。覚えたつもりでいるだけでまた忘れてるやつとかあるはず。だから見直す。でも、数学もやる。だって図形苦手やもん。」

 こんなこと考えながら過ごすクリスマスなんて、多分長い人生そんなにないでしょう?
 だからそういうクリスマスがあってもいいでしょう?


 周りの雰囲気に合わせて生きていくことっていうのももちろん大切。

 でも、
 時に、
 KYであってもいいと思います。
 それはカッコ悪いことなんかじゃないと思います。

 時々は、
 周りの雰囲気に背を向けて、下を向いて、立ち去ってしまうような、
 一人になって、机に向かって、目をこすりながら、並び替え問題を解いていたって良いと思います。

 そういう日にやったことって、きっと結果につながります。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月05日

いけるいける!

 おはようございます。

 今日はどんな新しいことに挑戦しますか?

「ああ、無理だー」と感じながら机に向かうことをしてほしくないんですね。
「どうせ」とか「できるわけがない」とかっていうマイナスの言葉。
 脳は、こういうマイナスの言葉にとても敏感なんです。
 「どうせ」「無理」「できるわけがない」ということを頭に浮かべると脳はすぐにそれに対応しようとしてしまう。
 つまりその瞬間、脳は「どうせ無理なんだ。できるわけないんだ。じゃあココマデ!オシマイ!ストップ!」となって考えることもやることも何もかも全部やめてしまう。
 脳ってそういうものなんです。

 頑丈な杭につながれた象はいったん「僕はここから逃げることが出来ない」と感じたら、次からはその象自身よりもはるかに小さくて簡単に逃げられそうな杭に繋がれた時でももう逃げ出そうとしないそうです。

 これを「メンタルブロック」といいます。
 やろうと思えば出来ることも、やってみればメチャメチャ面白いものも、これによって全部無駄にしてしまう・・・かもしれません。
 けど、やっぱり面白いことや達成感を味わえることって経験してほしいです。

 だから勉強はわかりやすく、はじめっから難しいなんていうことなく、はじめに跳ぶハードルを低くするというのは大事なことだと思います。
 「わかる、わかる、できる、できる」を実感しながら勉強してほしいです。

 みんなは家で勉強する時だってそうですが、「どうせ」「無理」「できるわけがない」と思わず、「よし」「やってみよう」「がんばるぞ」っていう気持ちで勉強してくださいね^^

 だけどやっぱりわからない無理だと思った問題があれば、質問して下さい。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月04日

どんなふうになりたいかを先に決めると

 皆さんは将来の夢がありますか?
 将来の夢ってないよりもある方が良いと思います。

 例えば中学生だったら近い将来に高校受験があったり大学受験があったりするんでしょうけど、それよりも先に将来の夢を持っていた方が良いです。

 「今の僕(わたし)の成績(レベル)だったら○○高(大)ってところかな。」

 そういうんじゃなくて、
 先に将来の夢があって、例えばアナウンサーなのか美容師なのか介護福祉士なのか学校の先生なのか何のかはわからないけど、先にそういうずっと先の目標があった方が楽しいですね。
 もちろん職業名と結びつかなくても良いし、さらに向こうの夢があるのかもしれません。

 先にこういうのになりたいってのがあって
 →そのためにはどういう勉強や経験が必要で
 →そういう勉強や経験の出来る場所を見つけて
 →その道へ進むための勉強があって
 →じゃあ今の時点ではまず何を勉強すればいいのかってことがあって

 →でもとりあえずお腹がすいているからお昼ご飯を食べよう…。

 (笑)

 っていう方が生活が楽しくなります。

 人間の欲求には段階があるそうです。
 お腹がすいたとか眠いっていう欲求が最初にあって、次に、ただ寝たいだけじゃなく、温かい布団で寝たいっていう欲求があり、さらに進むと次は元気づけてくれる友達が欲しいとか認めてくれる仲間が欲しくなり、、最後には自分は自分らしく生きたいという自己実現の欲求があるといいます。

 確かにそうなんでしょうけど。
 それでも先に自己実現の欲求があって、そこから逆算していく方が楽しいです。
 お腹がすいてご飯を食べて満腹になってから「ああ、こんな人になりたいなぁ〜」ではなく、こんな人になりたいって考えて考えながら勉強しているうちにお腹がすいてくるんです。

 みんなにはいろいろ頑張ってほしいことがあります。
 勉強も含めて毎日の中で辛いことだって出てくるかもしれません。
 でも辛い中にも楽しさがあったら、辛くてもつらくないんですよね。

 お腹がすいてきたので、今日はこのへんで^^

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月03日

感じたことを大切にしよう

 国語の授業で、読解問題を解くときなどは「客観的に読み取る力」も必要です。
 だからそういうことを授業で指導することはもちろんあります。

 だけど当然のことながら、「主観」つまり自分は「何を思ったか」「どう感じたか」「気分はどんなか」ということも大切なんです。。
 たとえば道を歩いていて、ちょっとだけいつもと違う経験をしたとします。
 あれ?いつもの賑わいと少しだけフンイキが違う。
 普段はもっと楽しいカンジがするのに今日はなんか少しムードが暗い。
 なんだろ。
 うわ、なんだ、嫌だなぁ。。ポツポツきやがった。降ってくるぞ〜。
 そういえば、雨っぽいニオイがする。傘持ってきてたら良かったなぁ〜。
 ていうか〜、今日の靴、買ったばかりなんですけどー。

 主観と客観ってどちらが先かといえば、主観です。
 どんなことにも最初は主観が働きます。
 良いお店が見つかった時の店の印象だって最初は主観的です。

 たとえどんなに小さなことであっても良いんです。
 何を感じましたか?

「気持ち悪っ!」って思うようなことだってあるかもしれません。

 面白い!
 良いわぁ〜
 ダルっ!
 きもい
 うっとうしい
 やった〜
 サイコー!
 辛いなぁ〜
 ィヤッホ〜!
 ポジティブなものもネガティブなものもありますが、ネガティブだからダメっていうのではありません。
 それにもちゃんと向き合います。

 文化祭も思いっきりエンジョイすればいい。
 友達と騒ぐこともあれば、夢中に走ったり楽器を演奏したり、お化けの役をしたり。
 そんなときの自分自身の心の体験1つ1つ、胸に感じたことを忘れず、大切にしてほしいです。

 僕自身もたくさんの経験をしてたくさんの主観を持ちたいと思います。
 そして、僕と触れ合う人たちがたくさんの経験をして、たくさんの主観を持ってもらえたら良いな。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹

2013年12月02日

あなたは必要な存在

おはようございます。
小学生の時は、友達を作るのが苦手で、いつも同じ友達とだけ遊んでいるか、1人で居ることが多かったです。
ある時は、ひどいいじめを受けた年もあって、登下校も休み時間も、体育や音楽の授業で誰かと関わらないといけない時間なんかも、ものすごくつらい時がありました…。とにかく誰か人と関わることが嫌いでした。

音楽といえば…。

 僕は高校と大学で吹奏楽をしていました。
 担当はTubaっていう楽器で、低音楽器です。ブーとかブンブンブンブンとかだいたいはそういうのばっかり。基本的には一番隅っこに座って地味に吹いてます。
 けど、Tubaってすごいんです。
 メロディーがなくてもその存在感はかなり大きいです。
 低音の響きがあるからこそメロディーが生きるわけで、Tubaがなかったら曲全体が薄々なんです。
 同じリズム隊でもドラムはカッコいいですよね。パーカッションは可愛らしいです。
 でもTubaは曲の中で目立ちません。目立ちはしませんけど、どのパートの楽器にも必要とされる、トランペットもホルンもクラリネットもあのTubaの低音がなくては「なんだか吹けな〜い」なんていうくらい必要なパートです。
 じゃあ同じ低音楽器のバリトンサックスはっていうともちろん独特のかっこいい低音ですけど、バリサクのバリバリっていうダンディーな低音に比べるとTubaは温かく包み込むような低音だって僕自身は思っています。

 そうなんです。
 必要とされる楽器なんです。
 他の奏者にも必要とされるし、観客にも必要とされる楽器。
 すごいですね。

 自分の存在の大切さを知ってください。
 量や大きさだけでなく、いつでも常に人に影響を与えているんだということを知ってほしいと思います。

 あなたは周りの人に必要とされてる。
 周りの人に何らかの影響を与えているんです。

 Tubaに限らず、どの楽器も無くては音楽は成り立ちません。
 すべての楽器は役割があり、良い所がたくさんあって、それは他の楽器や奏者に影響を与え、音楽全体として無くてはならない存在。
 その楽器の音はその楽器にしか出せないんです。

 ブラスバンドをやっていたからいろいろな楽器の特性をわかろうとしたし、好きにもなりました。
 そして結果として出来上がったコンクールでの演奏曲はたとえ賞が取れなかった年でも、バンド全員で涙を流すことができました。

 吹奏楽に限ったことではありませんね。
 人ってそれぞれみんなそういうものです。
 一人一人みんな絶対に何か影響を与えているんです。
 どこかで必要とされているんです。
 自分は必要とされていることを知っておいて、誰かと居るのが良いと思います。
 偉そうに「俺様はこんなに優れているんだぜ」って態度で生きるのは確かにどうかと思います。
 でも、「自分には自分の特性がある。それは誰かにきっと影響を与えている」と信じて生きることは大切なことなんです。
 居なくてもいい人なんて絶対にいません。

 楽器を吹いている人なら自分の楽器を自分で磨きますが、自分が誰かに何かに影響を与えるってことを知ったら、自分を磨くのは自分自身ですよね。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹
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2013年12月01日

90点のテスト

 エジソンが電球を発明した時の話は有名です。

 電球の中のフィラメントという糸みたいなもの。
 あれにちょうど適した材質がなかなか見つけられなかったんです。なにせ明かりを灯さなければいけないものでありながら、すぐに燃え尽きてしまうと具合が悪い。身の回りにあるものからないものまで試し、結局1万回も失敗した、と言われます。

 そしてついに完成したとき、エジソンに向かってある記者が尋ねます。
「あなたは、これを発明するまでに1万回も失敗したそうですね。大変だったでしょう」

 それに対し、エジソンはこう答えます。

「私は失敗など一度もしていません。ただ、フィラメントの材質としてうまくいかないものを1万種類、発見しただけだ」
 と。



 私たちの脳は、ある1つのことに焦点を当てると、他のことをシャットアウトする機能を持っています。
 例えば、クラスで気になる人の声がすると、他のクラスメイトたちが話している会話の内容はいったん意識しなくなり、その人の声ばかりに注意が傾きます。
 例えば、足の親指を蚊に刺されると、たとえ心地良い風が吹いていたとしても、その感覚は同時ではなく、「かゆい!」ということに拘束されてしまいます。

 そして例えば、
「今この記事から目を離し、目の前にあるすべての風景から青いものを探してください」

 と言われるとどうでしょうか。
 青いものはいくつありましたか? それはわかりませんが、とにかく私たちは青いものに集中し、それ以外のものは見えているはずなのにフォーカスからは逸れていると思います。

 これは脳の優れた機能の1つです。
 もしも焦点をあてることをせず、すべてに注意を向けてしまうと、脳は一瞬でエネルギーが不足し、私たちは瞬時に餓死すると言われています。
 進化の過程で脳ばかりが肥大化したヒトは、
 一部の機能を使っている間、その他の機能は使わない、ということができるようになったんですね。
 だからこうして生きることができています。


 あるお母さんが、お子さんのテストを見て、こう言いました。

「何なの、この点数は!」
「この問題って、この前の宿題に出ていたのと同じじゃないの!」
「あんた、ほんとにわかってるの!?」
「こんな点数とってたら・・・」


 さて、この子の点数は何点だったでしょうか。

 答えをいいます。
 90点です。

 90点だから良い、90点だから残念…。
 もちろんそれは人それぞれです。
 ただ、何にフォーカスをあてて関わってみるのかを一呼吸置いて考えてみると、また違った声がけがあるかもしれません。
 うまくいかなかったことに焦点を向けるのか、うまくいったことに焦点を向けるのかできっとまた変わってきますよね。

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 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹
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