2008年08月10日

原稿用紙が好きでした。

 小学生たちは漢字や計算だけでなく、読書感想文を書いている子もいます。
 聞いてみると、読む本は決まっててもう読み終わった子もいるようです。

 小学生の時から何かしら文を書くことが好きでした。
 (今考えれば)すぐに解決できるような推理小説を書いてみたり、詩を書いてみたり、冒険モノを書いたり。感想文はちょっと苦手でしたが、詩や小説、それから作文を書くのは好きでした。

 小学6年生の時でした。
 課題は忘れました。クラスで何か作文を書こうということになって、その授業時間は作文の時間になりました。
 僕は例によってスラスラ書けたように思います。書き進めることはそれほど苦ではありませんでした。

 クラス全員が書き終えて、先生に提出します。そして次の日くらいでしょうか。なぜか僕は先生に呼び出されました。その時は多分自習時間ではなくて、何かの作業を各自しなくちゃいけない時間だったと思います。

 何だろうと思って先生の所へ行くと、例の作文のことでした。
 「なぜ、こんな作文を書いたんだ」
 どういうわけか先生は怒っています。
 え?
 僕としてはごく普通のことを書いたつもりでした。でも先生は怒っていました。

 その作文は、戦争のことや日本の歴史のこととは全く関係のない内容でした。
 ごく日常的なこと、僕自身がその頃感じていたことを作文にしたものでした。
 ところがその作文の中で僕は何度も、太平洋戦争時に日本国が掲げたスローガンの一つを多用していました。
 おそらく何かで聞いたり読んだりしたことがあったその言葉を、歴史的な背景も全くといっていいほど知らないままに、その頃の日常を語る上で僕は使っていたわけです。ひょっとすると言葉のリズムだけで使ったのかもしれません。

 けど僕の言い分としては「いえ、そういうつもりで使ったつもりはありません」です。
 言葉の持つ背景を知りませんし、言葉の意味ですらちゃんとわかっていたわけではありません。
 何らかの歴史認識や伝えたい皮肉があって使ったわけでもなく本当に無知で使ったわけですから、はじめは怒られている理由さえ僕にはわかりません。

 けどその時先生はそこから1時間くらいかけて、僕が軽い気持ちで使ったその言葉の重みを教えてくださいました。それでようやく当時の僕にも(なんとなくだったかもしれません)自分がなぜ呼び出されたのかがわかりました。
 それは言葉というものは国語辞典に載っているような意味だけではない、ということを知った出来事でした。

 けど、それだけではありませんでした。
 前より増して書くということに強く関心を持った時でもありました。書くということにはものすごい力があるんだということを知りました。それまでも文学は好きでしたから本も読んでいたし文を書いてもいたけど、改めてこんなに面白いものはないと思いました。
 今では原稿用紙を使うことが少なくなり、キーボードを打つようになっていますが、書くということはやっぱり好きです。この時の出来事が大きいんだと思います。だけどただ好きというだけじゃなくて、これからも言葉や書くということ自体をもっと勉強したいです。

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 ◆最後まで読んでくださってありがとうございます。
 学習塾KO-SHIN塾長 島幸樹
posted by しま | 大阪 | Comment(2) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ですね。
これだけブログや携帯のメールが氾濫している中で
書くことや表現することの敷居はどんどん
下がってきていますが、モラルも下がってきています。
言葉は、100%自分の意図が伝わるわけではないもの
であるからこそ、丁寧に表現していきたいと
思うものです。
Posted by mikihiko at 2008年08月10日 22:20
>mikihikoさん

こんにちは。コメントありがとうございます。
書くことの敷居は下がっているかもしれません。でもね…、職業柄、子供達の作文を読むわけですが、すっごく良いですよ。子供らしくてね、発想の豊かな可愛い作文ばかりですよ。もう読むのが楽しみです。

言葉のモラルが悪くなっている一面もありますが、それは寂しいことですね。僕自身十分に気をつけていきたいと思います。自分自身も、指導する上でも。
Posted by Shima at 2008年08月12日 23:55
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